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    声なき声
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       外務省は7日、1971年の昭和天皇とニクソン米大統領の会見、
      太平洋戦争やその後のサンフランシスコ講和条約に関する外交文書(全72冊)
      を公開した。

      その中に

      1941年12月8日の日米開戦の前日、ルーズベルト大統領から昭和天皇宛に
      戦争回避を訴える親電(電報)が届いた。
      しかし昭和天皇への伝達が遅れ日本軍による真珠湾奇襲を迎えてしまう。

      青字は新聞記事をそのまま書き写しました。



      太平洋戦争までに至る日米の情勢・経緯などは後日書くとして今思えば
      日本はあまりに無謀な戦争へ突入しました。
      その結果1945年8月15日の終戦の日まであまりに多くの若者達そして民間の
      人の命が奪われました。

      http://www.max.hi-ho.ne.jp/nvcc/TR7.HTM

      クリックしてもらうとわかりますが第2次世界大戦の各国の戦死者数の明細が
      載ってます。
      日本は太平洋戦争で230万人の兵隊さん(殆どが若者)が戦死しました。
      それも殆どの作戦が後方の安全な場所で机上のみで考え現場を知らない
      無能な参謀達のあまりにひどい計画で若い命を散らしました。
      そして230万人の戦死者のうち、6割の140万人は敵兵と戦っての戦死では
      なく味方からの物資補給がなく食料もなく餓死の数字です。
      140万人が餓死です。
      敵兵と戦い銃弾で命を落とすならまだしも食べるものもなくどんな思いで亡くなったか
      ・・・と思うと息も詰まります。
      後方の安全な場所で命令を下していた大半の高級参謀・司令官達は何の責任も
      問われず戦後いい暮らしをしました。
      名前は伏せますが神風特攻隊を立案した高級幹部の一人は戦後国会議員に
      なりました。

      今回の外交文書公開でルーズベルト大統領の親電(電報)が届いて10数時間後、
      つまり真珠湾攻撃後に天皇の目に入った。
      戦争推進派の誰かが意図的に遅らせたのでしょうが今となっては証人がいません。
      結局、誰も責任を問われず迷宮入りです。
      思うに意図的に遅らせた張本人は極悪人ですね。
      もし天皇の目に入り戦争を回避出来れば230万人という尊い若者達が死なず
      日本のために貢献したのに残念でありません。

      実はルーズベルト大統領の開戦直前の親電の話はだいぶ前にある本を読んで
      知ってました。
      記事にしよう・・・と思いつつ、すっかり忘れ今朝の新聞を見て「また先越された〜」と
      思いました(笑)
      先日のロシア隕石に続いて2回目です(汗)
      また先を越されないため先手を打ちます。
      前々から気になっていた事です。
      まずは写真をご覧になってください。

      第134号海防艦

      第1号海防艦

      2枚とも太平洋戦争の時の日本海軍艦船です。
      この写真を探すのにちと苦労しました。
      まるで隠蔽しているかのよう・・・

      時は1945年(昭和20年)4月6日シンガポール沖での光景。
      当時、日本軍は物資がとことん欠乏している内地に向かい貴重な軍事物資を
      日本内地に運ぶため輸送船数隻と護衛艦で航行してました。

      http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9288J%E8%88%B9%E5%9B%A3

      そこへアメリカ軍の潜水艦数隻と航空機の攻撃に遭い殆どの船が沈没しました。
      戦争中ですから仕方ないといえば仕方ないのですが、その後のアメリカの行動が
      極悪非道いやそれ以上の事をしました。
      まず輸送船が優先的に攻撃され沈没そして次は護衛艦に狙いがきます。
      写真1枚目は日本海軍第1号海防艦
      2枚目は第134号海防艦です。

      ホモ03船団を護衛しながら内地に向かってました。
      輸送船が沈没した後、ルソン島所属第345爆撃団所属のB25爆撃機24機の
      集中攻撃を受けました。
      結果、2隻とも沈没。
      乗組員は海に飛び込み漂流しました。
      そこまでは仕方ありませんが戦争の光景です。
      船は半分海中に没し撃沈確実で普通、攻撃部隊は引き揚げます。
      なんと!海に漂流している生存者達に更に爆弾を落とし機銃掃射までしました。
      結果、全員戦死です!

      私は数年前にある本で漂流して助けを求めている兵隊に向かって爆弾を落とす
      B25の衝撃的な写真を見ました。
      鳥肌が立ちました。
      その写真も現在探しているんですが見つかりません。
      意図的に隠しているのでしょうか。
      今回載せた1枚目の写真は漂流している日本兵に向かって爆弾を落とした水柱が
      少し写ってますが・・・

      後日この件はまた記事にして載せます。
      殆どの日本国民はこの事を知らないでしょう。

                      まさやん


      posted by: まさやん&花 | 一言 | 15:30 | comments(0) | trackbacks(0) | - |
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